2007年04月10日

格言 [ ジャーナリズム考現学 ]

The New York Times
1951年に創刊100周年を迎え、OBが後輩社員に贈った言葉

Learned,but not pedantic;
Objective,but never indifferent;
Detailed and painstaking,but not dull;
Powerful,but not intolerant;
Devoted to truth,but not intolerant;
Forthright in politics,but rarely partisan;
World-wide in vision,coverage and influence,but always American

学びて学びを誇らず、
客観的だが無関心でなく、
丹念に骨身を惜しまぬが退屈でなく、
力強いが押しつけがましくなく、
真実のみを追い求めるが狭量ではなく、
政治に直言しつつ一党一派にくみせず、
その視野も取材網も影響力も世界的な広がりを持ちつつ、いつも自分の国を忘れない
(田中豊蔵 訳)

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2006年06月11日

匿名性の終焉? [ メディアウォッチ ]

「匿名性の終焉?」("The End of Confidentiality? Journalists, Sources and Consequences")と題するシンポジウムがこの4月、American Journalism Reviewなどの主催で開かれた。各メディアのワシントン支局長、編集者、弁護士、調査報道に携わる記者たちが参加した。

ニューヨークタイムズのミラー記者が取材源を明かさなかったことで収監されたのを機に、アメリカでは取材源の秘匿について議論が活発になっている。

シンポジウムではまず、匿名報道は最小限にとどめる必要があることで意見の一致をみたという。つまり「取材源の明示」を原則とした上で、匿名性の意義を強調していこうということだ。

日本でも、読売新聞記者に対して東京地裁が取材源を明かすように求めたことでメディアは大騒ぎしたが、このようなシンポジウムは開かないのだろうか。

またAJRのシンポジウムでは、取材ノートは破棄すべきかどうか、取材源を匿名にする場合はどこまで編集者に知らせるべきか、電子メールはどうすべきかなど、かなり細かいことまで議論している。

記者クラブを捜査しただけで「取材源の秘匿が侵される」と騒いでいる日本よりも、シビアな議論をしている。

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2006年06月11日

まだ不十分なメディアスクラム対策 [ メディアウォッチ ]

 秋田の児童殺害事件について、6日付の読売新聞は「過熱取材防止、課題残る 人権配慮では一定の成果」と題する論説を載せた。これを題材に、事件と報道について考えたい。

事件や事故を取材する際に関係者の人権に対する配慮が広く問題化したのは1990年代後半から。
この現状認識は、かなり鈍感と言わざるを得ない。関東弁護士連合会は、1980年に「報道と人権」をテーマにシンポジウムを開き、「報道に当たっては関係者の被る不利益を十分検討し、報道の必要性、時期、方法などについて慎重に配慮すべきだ」という提言をまとめた。84年には、共同通信記者だった淺野健一氏が「犯罪報道の犯罪」を出版し、犯罪報道の是正を訴えた。読売記事は日本新聞協会が2001年にまとめたメディアスクラム対策が全国に浸透したことを自画自賛している。極めて遅い対応と言わざるを得ない。

今回の事件で結果的にメディアスクラムが生じてしまった原因として
メディアとしては、警察側が畠山容疑者の実家近くに警察車両を常駐させ監視し始めたため、〈1〉強制捜査への着手が切迫している可能性がある〈2〉逆に、警察が根拠薄弱なまま監視を続けているとすれば、捜査が勇み足になりかねない――と推測、強制捜査の瞬間をキャッチする目的のほか、捜査が不適切に進められないかを含め、実家での警察の動向をチェックする必要が高まった。
 集中取材に伴う弊害を回避しようと取材を控えてしまえば、真相に近づく報道の役割は果たしにくくなる。
と主張する。
ならば、ありとあらゆる事件で警察の動向をチェックすることを望む。それで冤罪が生まれ、無罪判決が出たとすれば、それは「報道の役割」を果たしていないと認めよう。つまり、無罪判決が出れば、それは報道がちゃんとチェックしていなかったということになろう。何という思い上がりだ。

 各社が容疑者宅を見張っていたのは、警察の動向をチェックしようという動機ではなく、容疑者が逮捕された瞬間を逃したくない、自社だけ逃して特オチしたくない。そうした理由からに違いない。

 もちろん、報道がウォッチすることで警察の捜査が適正に遂行されるかをチェックする意義はあったと思う。ならば、ありとあらゆる事件で、そのチェック機能を果たしているのか?視聴率が稼げたり、世の中が注目したりしている事件だけに「チェック機能」を発揮しているのではないか?むしろ、世の中が全く関心を示していない事件にこそ「チェック機能」を発揮すべきではないだろうか?
容疑不明確な段階での弊害防止策として本来望ましかったのは代表取材方式だったろう
読売論説では、代表取材を提言している。しかし、どうやら「一部の社が難色を示し」たために、実現しなかったらしい。残念だ。確かに代表取材は慎重に決めるべきだ。事件の真相をえぐる相当な自信や特ダネがあるか、独自の視点を持っているのであれば、代表取材を拒否する資格はあろう。その難色を示した社は、何か独自な報道をやったのだろうか?

 読売論説は一部の週刊誌報道を批判した上で「人権への配慮というメディアスクラム対策の趣旨が一定の効果を上げた」と総括しているが、どうだろうか。テレビでは、多くの報道陣が容疑者宅を囲んでいる様子を映し出していた。どう見ても、メディアスクラムそのものである。

 せいぜい車両内で待機するなど、もっと節度を保つべきだろう。

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2006年06月03日

「取材源の秘匿」を議論に晒せ [ ジャーナリズム考現学 ]

Sanders, Karen(2003)'Ethics & Journalism'の中で、なるほどと思った表現があった。

Sisella Bok has rightly argued that terms such as 'confidentiality' or 'national security' or 'the public's right to know' have often been used 'as code words to create a sense of self-evident legitimacy which is not borne out by rigorous argument'. Keeping the identity of sources secret can be one such journalistic shibboleth.(シセラ・ボクは「機密性」「国家安全」「国民の知る権利」という用語は、「あたかも自明の正当性があるかのような暗号として使われているが、厳しい議論から生まれたものではない」と論じている。取材源を秘匿するというのも、そうしたジャーナリスト特有の決まり文句かもしれない。

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2006年05月29日

「原則実名」と「取材源の秘匿」 [ メディアウォッチ ]

5月11日付の読売新聞に、同紙の新聞監査委顧問・審査委員合同会議の要旨が載った。政府の犯罪被害者基本計画で犯罪被害者を実名にするか匿名にするかを警察に委ねられるようになったことや、読売新聞記者の取材源秘匿を認めなかった東京地裁判決について取り上げられた。

総括として、白石興二郎・東京本社取締役編集局長の文章が載っている。その中で「原則実名を報道の原点として貫きたい」と「取材源の秘匿は、報道の自由を守るための生命線です」と述べている。

白石局長は、矛盾を感じないのだろうか。

例えば、ある刑事が犯罪被害者の名前を記者に漏らしたとする。記者は「実名原則」に基づき、実名を報じる。報道された被害者はその結果、いろんな嫌がらせを受けたとする。そこで読売新聞に対し「私の名前をどこで入手したのか」と迫る。それに対し、読売新聞はどう応じるのだろうか?「取材源の秘匿です」と退けるのか?

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2006年05月29日

毎日新聞社の機関紙に堕した「毎日新聞」 [ メディアウォッチ ]

新聞は「公器」と言われる。ならば、公全体の利益を追求すべきだろう。決して、新聞の発行主体である会社組織の利益を導こうとしてはならないはずだ。場合によっては公の利益のために、発行主体を犠牲にしてまでも真実を報道することも必要だ。

5月26日付毎日新聞の社会面に、毎日新聞東京本社の観堂義憲編集局長名で「連名は誠意ある話し合いを」と題する記事が載った。4段見出しと派手な扱い。何事かと思わせる。

内容は、日本将棋連盟の名人戦を朝日新聞社に奪われそうな中、連盟理事会が、あたかも毎日新聞社との交渉が決裂することを前提とした案を総会に提起しようとしていることを牽制しようというもの。

まず第1に、なぜ編集局長名なのか?社長や事業本部長ならまだ理解できるが、編集局長も連盟の交渉担当者なのか。あるいは、連盟が毎日新聞と誠実に交渉することが、読者ひいては公の利益になると考えているのだろうか?

第2に、貴重なニュース面を割いて、多くのニュースを押しのけて、この主張を載せるのは適当か?毎日新聞社の主張を載せたいのであれば、多くの企業やNGOがやるように、意見広告を載せるべきではないのか?

名人戦の主催が毎日になるか朝日になるか、公全体にとってはどうでもいい問題だろう。「毎日新聞社が主催しないと、貴重な日本文化である将棋が滅びる!」ということが説明できれば、少しは説得力があるが、いま議論になっているのは連盟の「誠意」についてだ。それも、どうでもいい。

もっと「公器」としての自覚を持ち、発行主体の利益を優先しないでもらいたい。

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2006年04月25日

読者不在の特殊指定見直し反対キャンペーン [ メディアウォッチ ]

新聞の特殊指定見直しについてインタビュー連載を続けてきた毎日新聞が、25日付で遂に「敵」の竹島一彦・公正取引委員会委員長のインタビューを載せた。この記事は秀逸である。なぜなら、質問がものすごくとんがっているからだ。

自民が大勝したので「チャンス到来」と思ったんじゃないですか。
あなたの立場で「後は常識だ」と傲然と言われるのは引っかかる。
どうも「新聞は偉そうでけしからんじゃないか」という憤りが竹島さんの情熱の源になっているようですね。
このように言いがかりとも言える質問が羅列してある。ある意味で痛快だ。毎日新聞にお願いしたいのは、この調子で「耐震偽装事件を告発したイーホームズの藤田社長を逮捕するのは、ちょっとやりすぎですよ」という勢いで司法当局者をインタビューしてみてほしい。

竹島さんの答えで説得力があるのは次の言葉だ。
特殊指定について私は私の考えを申し上げているが、(中略)個別配達が大変だとか、知る権利のために必要だとか、ピントのはずれた、ワンパターンの話ばかりが出てくる
その通り。特殊指定の見直しが個別配達や知る権利とどう関係があるのだろうか。メディア側がそこを説明できないでいると「そもそも立証責任を公取委が我々に求めるのがおかしい」と開き直るありさまだ。確かに、公取委に言われる筋合いはないにせよ、読者に対しては説明すべきではないのか?

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2006年04月22日

新聞業界の規制緩和で期待できること [ メディアウォッチ ]

新聞の特殊指定見直し問題で、各新聞は反対の大キャンペーンを張っている。J考現学は、新聞がなくなろうとどうなろうと、ジャーナリズムは生き残るという立場なので、はっきりいってどうなってもいい。

この議論に登場する「新聞観」は、非常に硬直的なのに気付く。
すなわち「新聞」は約40ページで、1面、政治面、経済面があり、最後にテレビ欄があり、夕刊もセットであり、毎朝玄関まで届けてくれる。この制度を維持したい!特殊指定を見直したら、値下げ競争が激化し、イエローペーパー化し、離島や山間部に届かなくなる!と言われている。

でも、
・どうして新聞は各紙ともだいたい40ページなのか
 →価格が高くても70ページの新聞を買いたい人がいるかも
 →スポーツ面はいらないから、30ページにして、その代わり安くして
・どうして各紙とも「政治面」「経済面」「社会面」と似たような紙面構成なのか
 →国際面だけは6ページにしてほしい、というニーズもあるはず
・どうして「朝」なのか
 →勤務体系がこれだけ多様化しているから、みんなが「早朝」に届けてほしいわけではない。時間指定にして、時間帯によって割増や割引料金を設定する。
・値下げ?いいじゃん!
 →良い物をより安くが、日本のお家芸ではないのか?もし、低コストでハイクオリティーの新聞を届けるビジネスモデルが確立したら、そのモデルを輸出できるかもしれない

宅配制度が崩ても、やりようはいくらでもある。
・それでも玄関先まで届けて欲しい人は、月5000円になっても購読するだろう
・新聞のクオリティーが本当に高ければ、月7000円でも出す人もいる?
・コンビニ配達 玄関までは来ないけど、近くのコンビニで受け取れるようにする。
・ヤクルト配達 ヤクルトのおばさんに委託する
・時間帯別配達 届けて欲しい時間帯を登録 早朝の割り増し料金も
・都市部では月1000円の新聞も登場。購読する人もいるかも
・山間部や離島で大手紙の購読料が高騰しても、新聞へのニーズが高ければ、高価でも買う人はいるだろうし、あるいはそれぞれの山間部や離島で小さな新聞社ができる!

潜在的ニーズも掘り起こせる
・新聞紙面のばら売り
「政治面」「経済面」「スポーツ面」「社会面」「文化面」などから選べる。「朝日の政治面」+「読売の社会面」+「日経新聞」という組み合わせで届けてくれる。
「主要紙の政治面だけ」「金融関連ニュースだけ」「各紙に載る料理レシピクリッピング」など、自分が興味あるテーマの記事を、複数の新聞から拾い出して毎朝届けてくれる。

・折り込みチラシが選べる
引っ越し先と考えている地域のマンションチラシを入れてくれる。
自宅周辺だけでなく、通勤途中や勤め先周辺のスーパーや飲食店のチラシも入る
月初めに、入れて欲しい、あるいは不必要な折り込みチラシのジャンルを聞いてくれる

このように新聞をもっと柔らかくとらえ、多様なニーズが眠っていることに気づき、さらにネットなどとの連携をはかれば、もっとビジネスチャンスが広がるのではないか?

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2006年03月16日

メモ:読売新聞記者の取材源秘匿決定 [ vs権力 ]

東京地裁が3月14日に出した読売新聞記者の取材源秘匿に関する決定について、いろいろと報道されているが、少しだけメモしておきたい。

この決定のキモは以下の部分だと思う。

法令により開示が禁止された情報について公衆が適法な権利を有しているとは言えない
これまでの判例では、公務員が守るべき秘密は、非公知性と要保護性がある「実質秘」という立場をとってきたが、上の文を読むと、どうやら法令で形式的に定めた秘密はすべて開示されてはならないという「形式秘」に立場を変えたようだ。

各新聞は「取材ができなくなる」などと自分の都合ばかりを主張しているが、実質秘が形式秘に転換されることで、情報公開の原則が骨抜きになり、市民の権利が制限される恐れがあるということを指摘すべきだろう。

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2006年01月12日

実名発表を求めるのはいいけど [ 事件報道 ]

犯罪被害者を公表するかどうかは警察の判断に委ねられるという政府方針に、マスコミ各社は反発している。

「検証できなくなる」というマスコミの主張には賛同できない。そもそも誰もマスコミに検証を託した覚えはない。

情報公開の原則に立てば、被害者の氏名はマスコミに限らず、何人でも閲覧できる状態にするのが理想だろう。マスコミは、自分たちが特権的に閲覧できて、報道するかしないかは自分たちの判断だと主張するが、マスコミに独占的な地位を与えるのはおかしいし、情報が公になるかならないかはメディアという私企業の判断に委ねられるのはおかしい。

もし公表するなら、何人でも閲覧できるようにすべきだろう。ただ、社会的に公表は受任しがたいという感情があれば、それは受け入れなければならない。ただし、犯罪が起きたという事実そのものは、公表される制度が必要だ。

マスコミが主張すべきなのは、事件が起きたら、必ず発表することを制度化せよということだ。そこで被害者が匿名か実名かはさして問題ではない。

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