2006年06月11日

匿名性の終焉? [ メディアウォッチ ]

「匿名性の終焉?」("The End of Confidentiality? Journalists, Sources and Consequences")と題するシンポジウムがこの4月、American Journalism Reviewなどの主催で開かれた。各メディアのワシントン支局長、編集者、弁護士、調査報道に携わる記者たちが参加した。

ニューヨークタイムズのミラー記者が取材源を明かさなかったことで収監されたのを機に、アメリカでは取材源の秘匿について議論が活発になっている。

シンポジウムではまず、匿名報道は最小限にとどめる必要があることで意見の一致をみたという。つまり「取材源の明示」を原則とした上で、匿名性の意義を強調していこうということだ。

日本でも、読売新聞記者に対して東京地裁が取材源を明かすように求めたことでメディアは大騒ぎしたが、このようなシンポジウムは開かないのだろうか。

またAJRのシンポジウムでは、取材ノートは破棄すべきかどうか、取材源を匿名にする場合はどこまで編集者に知らせるべきか、電子メールはどうすべきかなど、かなり細かいことまで議論している。

記者クラブを捜査しただけで「取材源の秘匿が侵される」と騒いでいる日本よりも、シビアな議論をしている。

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2006年06月11日

まだ不十分なメディアスクラム対策 [ メディアウォッチ ]

 秋田の児童殺害事件について、6日付の読売新聞は「過熱取材防止、課題残る 人権配慮では一定の成果」と題する論説を載せた。これを題材に、事件と報道について考えたい。

事件や事故を取材する際に関係者の人権に対する配慮が広く問題化したのは1990年代後半から。
この現状認識は、かなり鈍感と言わざるを得ない。関東弁護士連合会は、1980年に「報道と人権」をテーマにシンポジウムを開き、「報道に当たっては関係者の被る不利益を十分検討し、報道の必要性、時期、方法などについて慎重に配慮すべきだ」という提言をまとめた。84年には、共同通信記者だった淺野健一氏が「犯罪報道の犯罪」を出版し、犯罪報道の是正を訴えた。読売記事は日本新聞協会が2001年にまとめたメディアスクラム対策が全国に浸透したことを自画自賛している。極めて遅い対応と言わざるを得ない。

今回の事件で結果的にメディアスクラムが生じてしまった原因として
メディアとしては、警察側が畠山容疑者の実家近くに警察車両を常駐させ監視し始めたため、〈1〉強制捜査への着手が切迫している可能性がある〈2〉逆に、警察が根拠薄弱なまま監視を続けているとすれば、捜査が勇み足になりかねない――と推測、強制捜査の瞬間をキャッチする目的のほか、捜査が不適切に進められないかを含め、実家での警察の動向をチェックする必要が高まった。
 集中取材に伴う弊害を回避しようと取材を控えてしまえば、真相に近づく報道の役割は果たしにくくなる。
と主張する。
ならば、ありとあらゆる事件で警察の動向をチェックすることを望む。それで冤罪が生まれ、無罪判決が出たとすれば、それは「報道の役割」を果たしていないと認めよう。つまり、無罪判決が出れば、それは報道がちゃんとチェックしていなかったということになろう。何という思い上がりだ。

 各社が容疑者宅を見張っていたのは、警察の動向をチェックしようという動機ではなく、容疑者が逮捕された瞬間を逃したくない、自社だけ逃して特オチしたくない。そうした理由からに違いない。

 もちろん、報道がウォッチすることで警察の捜査が適正に遂行されるかをチェックする意義はあったと思う。ならば、ありとあらゆる事件で、そのチェック機能を果たしているのか?視聴率が稼げたり、世の中が注目したりしている事件だけに「チェック機能」を発揮しているのではないか?むしろ、世の中が全く関心を示していない事件にこそ「チェック機能」を発揮すべきではないだろうか?
容疑不明確な段階での弊害防止策として本来望ましかったのは代表取材方式だったろう
読売論説では、代表取材を提言している。しかし、どうやら「一部の社が難色を示し」たために、実現しなかったらしい。残念だ。確かに代表取材は慎重に決めるべきだ。事件の真相をえぐる相当な自信や特ダネがあるか、独自の視点を持っているのであれば、代表取材を拒否する資格はあろう。その難色を示した社は、何か独自な報道をやったのだろうか?

 読売論説は一部の週刊誌報道を批判した上で「人権への配慮というメディアスクラム対策の趣旨が一定の効果を上げた」と総括しているが、どうだろうか。テレビでは、多くの報道陣が容疑者宅を囲んでいる様子を映し出していた。どう見ても、メディアスクラムそのものである。

 せいぜい車両内で待機するなど、もっと節度を保つべきだろう。

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2006年05月29日

「原則実名」と「取材源の秘匿」 [ メディアウォッチ ]

5月11日付の読売新聞に、同紙の新聞監査委顧問・審査委員合同会議の要旨が載った。政府の犯罪被害者基本計画で犯罪被害者を実名にするか匿名にするかを警察に委ねられるようになったことや、読売新聞記者の取材源秘匿を認めなかった東京地裁判決について取り上げられた。

総括として、白石興二郎・東京本社取締役編集局長の文章が載っている。その中で「原則実名を報道の原点として貫きたい」と「取材源の秘匿は、報道の自由を守るための生命線です」と述べている。

白石局長は、矛盾を感じないのだろうか。

例えば、ある刑事が犯罪被害者の名前を記者に漏らしたとする。記者は「実名原則」に基づき、実名を報じる。報道された被害者はその結果、いろんな嫌がらせを受けたとする。そこで読売新聞に対し「私の名前をどこで入手したのか」と迫る。それに対し、読売新聞はどう応じるのだろうか?「取材源の秘匿です」と退けるのか?

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2006年05月29日

毎日新聞社の機関紙に堕した「毎日新聞」 [ メディアウォッチ ]

新聞は「公器」と言われる。ならば、公全体の利益を追求すべきだろう。決して、新聞の発行主体である会社組織の利益を導こうとしてはならないはずだ。場合によっては公の利益のために、発行主体を犠牲にしてまでも真実を報道することも必要だ。

5月26日付毎日新聞の社会面に、毎日新聞東京本社の観堂義憲編集局長名で「連名は誠意ある話し合いを」と題する記事が載った。4段見出しと派手な扱い。何事かと思わせる。

内容は、日本将棋連盟の名人戦を朝日新聞社に奪われそうな中、連盟理事会が、あたかも毎日新聞社との交渉が決裂することを前提とした案を総会に提起しようとしていることを牽制しようというもの。

まず第1に、なぜ編集局長名なのか?社長や事業本部長ならまだ理解できるが、編集局長も連盟の交渉担当者なのか。あるいは、連盟が毎日新聞と誠実に交渉することが、読者ひいては公の利益になると考えているのだろうか?

第2に、貴重なニュース面を割いて、多くのニュースを押しのけて、この主張を載せるのは適当か?毎日新聞社の主張を載せたいのであれば、多くの企業やNGOがやるように、意見広告を載せるべきではないのか?

名人戦の主催が毎日になるか朝日になるか、公全体にとってはどうでもいい問題だろう。「毎日新聞社が主催しないと、貴重な日本文化である将棋が滅びる!」ということが説明できれば、少しは説得力があるが、いま議論になっているのは連盟の「誠意」についてだ。それも、どうでもいい。

もっと「公器」としての自覚を持ち、発行主体の利益を優先しないでもらいたい。

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2006年04月25日

読者不在の特殊指定見直し反対キャンペーン [ メディアウォッチ ]

新聞の特殊指定見直しについてインタビュー連載を続けてきた毎日新聞が、25日付で遂に「敵」の竹島一彦・公正取引委員会委員長のインタビューを載せた。この記事は秀逸である。なぜなら、質問がものすごくとんがっているからだ。

自民が大勝したので「チャンス到来」と思ったんじゃないですか。
あなたの立場で「後は常識だ」と傲然と言われるのは引っかかる。
どうも「新聞は偉そうでけしからんじゃないか」という憤りが竹島さんの情熱の源になっているようですね。
このように言いがかりとも言える質問が羅列してある。ある意味で痛快だ。毎日新聞にお願いしたいのは、この調子で「耐震偽装事件を告発したイーホームズの藤田社長を逮捕するのは、ちょっとやりすぎですよ」という勢いで司法当局者をインタビューしてみてほしい。

竹島さんの答えで説得力があるのは次の言葉だ。
特殊指定について私は私の考えを申し上げているが、(中略)個別配達が大変だとか、知る権利のために必要だとか、ピントのはずれた、ワンパターンの話ばかりが出てくる
その通り。特殊指定の見直しが個別配達や知る権利とどう関係があるのだろうか。メディア側がそこを説明できないでいると「そもそも立証責任を公取委が我々に求めるのがおかしい」と開き直るありさまだ。確かに、公取委に言われる筋合いはないにせよ、読者に対しては説明すべきではないのか?

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2006年04月22日

新聞業界の規制緩和で期待できること [ メディアウォッチ ]

新聞の特殊指定見直し問題で、各新聞は反対の大キャンペーンを張っている。J考現学は、新聞がなくなろうとどうなろうと、ジャーナリズムは生き残るという立場なので、はっきりいってどうなってもいい。

この議論に登場する「新聞観」は、非常に硬直的なのに気付く。
すなわち「新聞」は約40ページで、1面、政治面、経済面があり、最後にテレビ欄があり、夕刊もセットであり、毎朝玄関まで届けてくれる。この制度を維持したい!特殊指定を見直したら、値下げ競争が激化し、イエローペーパー化し、離島や山間部に届かなくなる!と言われている。

でも、
・どうして新聞は各紙ともだいたい40ページなのか
 →価格が高くても70ページの新聞を買いたい人がいるかも
 →スポーツ面はいらないから、30ページにして、その代わり安くして
・どうして各紙とも「政治面」「経済面」「社会面」と似たような紙面構成なのか
 →国際面だけは6ページにしてほしい、というニーズもあるはず
・どうして「朝」なのか
 →勤務体系がこれだけ多様化しているから、みんなが「早朝」に届けてほしいわけではない。時間指定にして、時間帯によって割増や割引料金を設定する。
・値下げ?いいじゃん!
 →良い物をより安くが、日本のお家芸ではないのか?もし、低コストでハイクオリティーの新聞を届けるビジネスモデルが確立したら、そのモデルを輸出できるかもしれない

宅配制度が崩ても、やりようはいくらでもある。
・それでも玄関先まで届けて欲しい人は、月5000円になっても購読するだろう
・新聞のクオリティーが本当に高ければ、月7000円でも出す人もいる?
・コンビニ配達 玄関までは来ないけど、近くのコンビニで受け取れるようにする。
・ヤクルト配達 ヤクルトのおばさんに委託する
・時間帯別配達 届けて欲しい時間帯を登録 早朝の割り増し料金も
・都市部では月1000円の新聞も登場。購読する人もいるかも
・山間部や離島で大手紙の購読料が高騰しても、新聞へのニーズが高ければ、高価でも買う人はいるだろうし、あるいはそれぞれの山間部や離島で小さな新聞社ができる!

潜在的ニーズも掘り起こせる
・新聞紙面のばら売り
「政治面」「経済面」「スポーツ面」「社会面」「文化面」などから選べる。「朝日の政治面」+「読売の社会面」+「日経新聞」という組み合わせで届けてくれる。
「主要紙の政治面だけ」「金融関連ニュースだけ」「各紙に載る料理レシピクリッピング」など、自分が興味あるテーマの記事を、複数の新聞から拾い出して毎朝届けてくれる。

・折り込みチラシが選べる
引っ越し先と考えている地域のマンションチラシを入れてくれる。
自宅周辺だけでなく、通勤途中や勤め先周辺のスーパーや飲食店のチラシも入る
月初めに、入れて欲しい、あるいは不必要な折り込みチラシのジャンルを聞いてくれる

このように新聞をもっと柔らかくとらえ、多様なニーズが眠っていることに気づき、さらにネットなどとの連携をはかれば、もっとビジネスチャンスが広がるのではないか?

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2005年11月12日

「取材源秘匿」を濫用するな [ メディアウォッチ ]

NHK大津放送局の記者が、放火未遂の疑いで逮捕された事件で、滋賀県警は県警記者クラブや大津放送局を捜索した。このことについて11日付朝日新聞は「『取材源秘匿』という取材活動の根幹を揺るがす」と疑問を投げかけている。

この記事は、ちゃんちゃらおかしい。

押収されたパソコンなどに「今回の事件以外の取材内容、取材先の個人情報なども多数含まれている可能性がある」と指摘している。これが警察の手に渡ったから大変だというのだ。

待ってほしい。

まず、警察が記者クラブに踏み込むことを問題にする前に、そうした個人情報を記者クラブに放置している方が問題ではないのか?

警察としては、事件捜査を名目に記者クラブに踏み込まなくても、庁舎管理を目的に調べることができる。記者たちが帰ったあとの深夜に、こっそりと調べようと思えばできる。こっそりじゃなくても、堂々とできる。放火魔が庁舎内に居座っていたのであるから、庁舎が燃やされる可能性だってあるので調べようと思えば調べられる。そこに個人情報があったとしたら、そこに置いておく方が悪いことにならないか。

それよりも、同業他社がいっぱいいるなかで、個人情報など取材内容を記者クラブに置いているのがどうかしているのではないか? 警察が介入することを問題とする前に、記者クラブ内で、個人情報が放置されていることが問題にされるべきだ。

銀行業界に例えるなら、こうなる。金融庁担当の銀行マンたちが金融庁内のある部屋に常駐していた。そこへ金融検査がA銀行に入る。A銀行は「顧客情報があるかもしれず、配慮してほしい」と要望し、ほかの銀行も「営業の自由が侵される可能性がある」と指摘する。

こんな話、世の中には通用するはずがない。金融庁が踏み込むことよりも、顧客情報がライバル社の目に晒される可能性があることが問題ではないのか?

「取材源の秘匿」を主張するならば、同業他者がいっぱいいる記者クラブにそうした個人情報を放置するなと言いたい。重要な情報は記者クラブに置いておかず、持ち帰ればいい。そこへ警察が捜査に入っても取材源は守られる。取材源を守る手立てをすべて講じた上で「取材源の秘匿」を主張してほしいものだ。

やはり解決策としては、記者クラブのスペースは広報センターとし、記者の私物はすべて持ち帰るようにすべきではないか?そうすれば、記者クラブは物質的には空っぽになるので、捜索しようにもブツが何もないのでできないであろう。これこそ「取材源の秘匿」になる。

アメリカの調査報道の教科書では、取材源から得た重要文書についてはコピーを3通とれと教示している。1つは記事を書くために、手元に置いておく。ただ、司直の手に渡りそうなときは廃棄せよという。2つ目は、信頼できる弁護士に預けること。3つ目は、本当に信頼でき、捜査当局になかなか捕捉できない誰かに預けることだという。

取材源を守るためには、ここまでシビアにやる必要がある。それなのに日本では、警察の庁舎管理権が及ぶ記者クラブを捜索されただけで、「取材源秘匿の根幹を揺るがす」と訴えるのは、いかにも大げさである。

権利を主張するなら、まずやるべきことをやってからにしてほしい。

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2005年10月18日

「紀宮さま、婚約内定」 に新聞協会賞? [ メディアウォッチ ]

久々のアップ。いろいろ書きたいことあるけど、とりあえずは今年の新聞協会賞について。

2005年度新聞協会賞

朝日新聞「紀宮さま、婚約内定」の特報

・・・?

確かに、「皇室タブー」がいろいろとあるなかで、この特ダネを抜くためには大変な苦労があったのだろう。
でも、この情報がいち早く伝わることで、国民に何か利益があるのだろうか?

受賞理由:

報道各社が激しい取材競争を展開する中、長年にわたる取材の努力を結実させ、他の追随を許さず、国民の関心事をいち早く伝えるという報道の使命を果たした鮮やかなスクープとして高く評価され、新聞協会賞に値する
「国民の関心事」というのであれば、芸能人の結婚の方が関心が高いのではないか?やっぱり、日本新聞協会と一般的な関心はずれてる・・・

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2005年07月07日

FujiSankei Business i のブログ [ メディアウォッチ ]

FujiSankei Business iが7月4日から「編集局ブログ」を始めた。編集長やデスク、記者が日替わりで執筆するらしい。

意欲的な試みではあるが、テーマが明確でなく、あまり面白くなさそう。そのうち執筆するのが面倒になるのではないだろうか?

輪番制にせず「編集長ブログ」にすればいいのに。編集長がどういう方針で紙面作りをしているのか、編集に当たっての悩み、イチオシの記事、気になるニュース、編集室の出来事などを綴るといい。

コメントやトラックバックに対して編集長が応えれば双方向性が生まれ、ビジネスアイの紙面も充実するのではないだろうか?

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2005年05月06日

質問は厳しく、言葉は丁寧に [ メディアウォッチ ]

TBいただいた不可視型探照灯さんのエントリー現場の人間は、一体どういう神経をしているのか!で、JR西日本の会見で「人が死んでんねんで!」と詰め寄った記者がいたことを知った。いくつかのサイトでも取り上げられているが、この記者の言動は、すこぶる評判が悪い。

もう少し詳しいやり取りはうまい棒blogさんが2chから転載されている。

その後の経過でわかるように、どちらかと言えば不誠実なJR西日本の対応の方に多くの問題があるように思うのだが、記者たちも改めるべき点はある。

まず、ガラの悪い口調は品位に欠けるし、不快感を覚える。密室ならともかく、公開の場である以上、言葉遣いには気をつけるべきだろう。

もし、国会の党首討論で民主党の岡田代表が小泉首相に向かってガラの悪い言葉遣いで追及したら、どうだろうか? 「威勢がいい」と評価する人もいるかもしれないが、全体としては支持率を下げるような気がする。

最近、記者会見の様子をテレビニュースで流すことが増えている。そこで、記者が激しく追及し、JR側が言葉に詰まる場面を一つの「見せ場」にしようとしているのではないか?記者会見の意義は情報公開であり、記者会見そのものを「見せ物」にしてはならない。

「人が死んでんねんで!」会見で批判が多かったのは、事故発生から2時間しか経っていないのに、記者たちがしつこく原因を追及したことだ。これは、ちょっと違うのではないか?

むしろ、事故発生から2時間も経っているのに、JR西日本本社が脱線という事実しか把握していないことにこそ、問題があるのではないだろうか?

もし事故が車両の構造的欠陥が原因だったとすれば、同型車両を緊急停止・点検しなければならない事態である。あるいはテロだったら、世界中が緊急態勢を敷かなければならない。

今回の事故の原因を特定するのに時間がかかりそうであることは、後になってわかったことだ。後からみると、発生2時間後に原因を追及する記者たちは不条理に映るかもしれない。しかし、発生2時間後の時点に改めて自分を置いてみて考えると「原因は何だろう」という疑問が真っ先に浮かんでくるのではないだろうか?

JRの記者会見で気になったこと。当初、あのカーブでは133キロ以上出ないと転覆しないとJR西日本は発表していたが、実は乗客がいない状況での理論値であり、乗客がいた場合はもっと遅い速度でも転覆する可能性があることがわかった。このことについて、会見である記者が「あの数字を公表すべきではなかったのでは?」というような質問に対し、JR西日本側は「反省しています」と答えていた。

また、JR西日本の「置き石説」を素早く公表したことに対し、北側国交相が安易な情報公開を戒めていた。

JR西日本が記者会見を頻繁に開き、情報公開に努めようとしている姿勢はそれなりに評価されるべきだ。また、会見の開催を求める記者たちの努力も認められるべきだろう。ただ、JRの社内的な情報収集と分析が杜撰だったために、ボロが次々と発覚しているのだ。つまり、情報の収集・分析体制こそが問題であり、情報を公開したことを問題にするべきではない。

こうしたボロを隠すために、JRとしては記者会見を一切開かないという選択肢もあった。「事故原因については、警察による捜査や国交省の結果を厳粛に受け止める所存でいます」と突っぱねることもできた。

カーブでの転覆速度についても、133キロという数字を公表したことが問題なのではなく、133キロという数字がどのような根拠で算出されたのかを発表者が理解しておらず、それをきちんと記者に説明しなかったことが問題なのだ。

「置き石説」についても、JR西日本の見方が早期に明らかになっていなければ、事故調査委員会の見方が示された後にJRは「そうそう。私たちも最初からそう思っていたのです」と煙に巻かれていたことだろう。記者たちが執拗に原因を求め、JR西日本の安易な見方を早期に引き出したからこそ、JR西日本の分析力のなさが露呈されたのだ。

記者たちは、真実に迫るために鋭い質問をすることが求められている。でも、言葉遣いには気をつけよう。

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2005年04月26日

調査結果待たずに、議論は活発に [ メディアウォッチ ]

JR福知山線の事故を伝える報道に対し、様々な批判が出ている。

一つは、原因について。ガ島通信さんは:

マスコミは、何も分かっていない段階で「運転手のスピード違反か?」「線路に置石か?」「民営化の人件費削減が原因か?」などの憶測を流しまくって、しばらくすれば何ごともなかったように収束。それが間違っていたか、合っていたかの検証もなしに…。事故原因は事故調査委員会が分析して、いずれ分かるでしょう。本来はそこから、事故調の報告の検証も含めて、どうやれば事故を防ぐことができるのか、今回の事故をどう未来に生かしていくのかしっかり組み立てて行かなければならないはずです。
と書かれている。

「何も分かっていない」わけではない。現場はカーブで、133キロ以上出せば脱線する可能性があること、ATSが旧式だったこと、脱線防止ガードレールがなかったこと、などなど。これらから、現時点で考え得る原因について推測するのは、それなりの意味がある。

原因を探る上で考慮すべきポイントを示すことで、似たような状況にあるほかの路線に対して原因と考えられる欠陥がないかどうかを緊急に点検することを促すことになる。専門家の見方を示すことで、素人には考えつかないようなポイントを浮かび上がらせたり、逆に素人が安易に原因と思い込みやすいことを排除したりすることにもなる。

もし、何カ月先になるかわからない調査報告が出るまで何も報道しないとなると、それこそ巷では「マドリッドに続く列車テロか」など、様々な噂が流れることだろう。「報道機関が原因について何も報道しないのは、何らかの陰謀があったからだ」などと勘ぐられるかもしれない。

以前、航空機事故では安易に機長のミスにしようという風潮があった。そうならないよう、事故調査結果が出る前に、原因と考え得るあらゆる論点を提示することで、当局に広範な調査を促すことができる。

原因についてああだこうだと議論していると、自然と収束していくもので、事故調査結果も、そうした巷での結論にほぼ沿ったものになりやすい。だから、調査結果が出ても、目新しさがないから、それほど大きく報じられないのだろう。

二つ目は、取材ヘリについて。「ヘリコプター=騒音」という固定観念で、上空からの映像をテレビで見ると、「現場はうるさいはずだ」と思い込みやすい。しかし、現場に行かないとわからないが、阪神大震災以降、報道ヘリはかなり騒音については気を遣うようになってきている。最近では、騒音の原因であるテールローターがない新型ヘリを導入するところも増えている。

さて、多くのブログで指摘されている「悲惨報道」は確かに改められるべきだ。NHKは、乗客の証言を繰り返し流していた。それによって臨場感を伝えたつもりなのかもしれないが、ちっとも伝わってこない。それよりも複数の証言を総合して、事故当時の状況はどうだったのか、どういうことが原因と考えられそうかを、整理して報じるべきだろう。

列車の運行状況はどうなっているのかも、確かに知らせるべきなのかもしれない。ただ「人が死んでいるというのに、運行状況を流している場合か?」という、逆の批判も起こるかもしれない。

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2005年04月23日

日経の誤報 [ メディアウォッチ ]

日本経済新聞は、22日付朝刊一面で「東電、7月に値上げ」と報じた内容が誤りだったとして、23日付朝刊で訂正した。

東京電力は、自社のウェブサイトにコメントを載せている。

誤った理由として23日朝刊では「本紙の試算に間違いがありました」としている。しかし、22日朝刊記事の書き出しはっきりと「東京電力は七月に電気料金を引き上げる」とあたかも東京電力の方針であるかのように伝えている。日経は東電に確認も取らず、自分たちの試算だけで報じていたということか?

これだけ読者をミスリードした割には、誤報の検証が甘すぎる。以下のように、読者が当然抱くであろう疑問に応えてほしい:
・なぜ試算を間違ったのか?
・報道の根拠は、独自の試算結果だけだったのか?
・東京電力には、どのような取材をしたのか、あるいはしなかったのか?
・記者の原稿を、なぜ編集レベルでチェックできなかったのか?
・今後の再発防止策は?

再発防止策は、簡単。「取材源の明示」である。

東京電力がまだ正式に発表していないことを報じる場合は、「日本経済新聞」という権威を担保にするのではなく、東電側から得た情報であることを読者に提示すべきだ。

「東電幹部が本紙に見通しを語った」などとすればいい。

こうした記事の書き方を基本にしてはどうか?

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2005年04月01日

双方向性は技術の問題ではない [ メディアウォッチ ]

 番組改編期で、昨日限りで終わったラジオ番組が多い。

 番組の最後に「お疲れ様でした」「これからも頑張ってください」というリスナーからのメッセージが次々と紹介され、DJが涙ぐんでいた。

 インターネットやデジタルテレビは双方向性を売りにしているが、テレビよりも古いメディアであるラジオではすでに双方向性が実現していることを改めて認識した。

 つまり双方向性は、技術だけで実現するものではない。双方の意志を通わせようという「心」が重要であり、技術は何だっていいのだ。

 ラジオ番組は、リスナーの投書やリクエストで成り立っている部分が大きい。だからラジオはリスナーの声には謙虚に耳を傾ける。そうした誠実な対応があるから、ラジオとリスナーの絆は、おそらくどのメディアよりも固いのだろう。

 ホリエモンがもし、いきなりテレビや新聞に乗り込んで「双方向性」を訴えたら、社内に協力分子が現れたかもしれない。ところが、すでに双方向性を実現し、双方向性の上に成り立っているラジオに乗り込んで「双方向性」を訴えたものだから、強い反発を受けたのではないだろうか?

 テレビの登場でラジオは消えゆくメディアと思われていたのが「双方向性」によってリスナーと絆を深めて定着している。テレビや新聞も、視聴者や読者と対話する「心」を持てば、技術の波に脅える必要はないのではないだろうか?

Posted by halberstam at 2005年04月01日 | コメント(0) | Trackback(0)

2004年10月03日

Japan Media Reviewへの回答 [ メディアウォッチ ]

以前から注目していたJapan Media Reviewからコメントの依頼がコメント欄にあった。ウェブログ上で取材を受けるとは変な感じだが、とりあえずウェブログ上でご回答申し上げたい。またこのウェブログは、筆者陣の氏素性を明らかにしないことで成り立っていることもご理解いただきたい。

1、ネットの普及は記者のモラルにどう影響しているか。ネット記事を引用する場合の基準はどうなっているか。

ここで言われている「記者のモラル」を「他の著作物を引用する際のモラル」という理解で進めさせていただく。また、ニューヨークタイムズ記者による記事盗用が続くなど、日本固有の問題ではないことを前提としたい。

ネットの普及で、引用・盗用しやすい環境になったのは確かだ。また、一般の個人が評論・意見表明をしやすくなったため、既存メディアが発信する評論の独創性が相対的に低くなってきた。そこで今までのメディアとしての権威を保とうすると、ついついネットで見つけたアイデアを拝借したくなる誘惑に駆られる。さらに、世の中のスピードが速まっているので、早めに目立とう、独創性をアピールしようというプレッシャーも働いてくる。

なぜ記事盗用が頻発しているのかは、このように総体として捉える必要がある。ところが全体状況を見ずに「記者のモラル」の問題として片付けようとしているように思う。ちょうど、飛行機事故でパイロットの責任にして片付けようとするのと同じだ。記者もトカゲの尻尾にされようとしている。

基準がどうなっているかについては、メディア各社に問い合わせていただきたい。ただ、基準がどうなっていようとも、この問題を総体として捉えない限り、解決しない。

提案としては、既存メディアは「敗北宣言」をすることである。唯一のマスメディアでなくなった以上、これまでのような権威を保つことはできない。そこでネットに対して敗北したことを認め、引用する際は「○△さんのブログによれば・・・」と注を付ければいいと思う。

2、記事が出版される前に、ゲラのコピーやその他の独自に入手した書類を取材先などの第三者に見せることはあるか?記事の内容など、取材先が事前にチェックすることはあるか?
3、報道倫理に関する社内教育は行われているか?

これらは、各社に問い合わせてください。

4、記者同士の世代間の価値観にギャップはあるか?

これは何に対する価値観なのか?価値観に世代間ギャップはあるのは当然だと思う。
ただ、世代を超えても受け継がれていくべき価値観というのはあると思う。しかし、どうもそれが受け継がれていないので、それについて考えたいというのがこのウェブログを始めたひとつの理由であることを付言しておきたい。

5、ここ数年で、記事の質が低下した、と感じることはあるか?もしあるとすれば、その理由(人手不足、人材不足など)。

プライバシーへの配慮など、個々の要素では改善している面もある。

ネットを含め、様々なメディアが発達したことによって、記事の質が「相対的に」低下したとは思うが、絶対基準でいえばあまり変わっていないという印象だ。例えば、記事の分量を比較すると、今も昔もあまり変わらない。しかし、ネットでは新聞やテレビに載っていない情報も見られるので、新聞やテレビに物足りなさを感じるようになった。

6、取材経費は以前と比べて削減されているか?そうであるとすれば、これが取材に与える影響は?

これも各社にお問い合わせを。
しかし、記者たちが相変わらず黒塗りハイヤーに乗っているところを見ると、製造業などに比べてコスト削減努力が足りないように思う。そもそもコスト意識がないのでは?
また、取材経費と記事の質には相関関係はないと思う。

以上、ご希望に沿うような回答ではなく、申し訳ありません。
メディアの問題を解決するには記者のモラル、取材経費、記者教育といった内部的な改革で対処できるものではない。ネット社会を前提にした人と人、人とマスのコミュニケーションのあり方を根本的に問い直さなければならないと思います。

Posted by halberstam at 2004年10月03日 | コメント(2) | Trackback(0)

2004年08月31日

ウッドワード記者の過去 [ メディアウォッチ ]

 ワシントンポスト記者のボブ・ウッドワードがイラク戦争をめぐるブッシュ政権の動きを描いた「攻撃計画」が売れている。同時多発テロとアフガニスタン攻撃について描いた「ブッシュの戦争」に続く本で、政権幹部の間で交わされた会話などが詳細に描かれていて、読み応えがある。
 ウッドワード記者は、ウォーターゲート事件の報道でニクソン大統領を辞任に追い込んだことで有名である。その後も政治記者として活躍し、クリントン大統領が初当選した選挙戦を追ったThe Choice、連邦準備制度理事会のグリースパン議長について書いたMaestroなど、数々の優れた著書を書いている。
 ウォーターゲート事件報道は、ジャーナリズムを目指す多くの若者たちを刺激し、ウッドワード記者はジャーナリストたちのあこがれである。
 しかし、実際、ウッドワードはどういう記者で、どうしてあれほどまでのネタを仕入れることができたのだろうか?
 ウッドワードの過去について書かれたAdrian Havill著"Deep Truth"という本があるらしい。その概要について ここここに書いてあることを少し紹介する。
 ウッドワードは1943年にイリノイ州で生まれ、65年にエール大学を卒業。65年から70年まで海軍で働き、メリーランド州のSentinel紙を経て、71年にワシントンポスト紙に入った。ウォーターゲート事件については1972年から74年まで、同僚のカール・バーンスタインと共に取り組み、1973年にピューリツァー賞を受賞した。
 海軍では、まず戦艦Wrightで勤務した。この船は、核戦争が起きた場合に大統領が指揮を執れるような設備が整っていたという。ウッドワードは無線に詳しかったから、採用されたらしい。そのような戦艦であるので、当然、CIAなどの情報機関とのつながりもできたという。
 68年には、ベトナムに行くように指示されるが、ウッドワードは駆逐艦での勤務を希望し、戦艦Foxで勤務するようになった。次に国防総省で仕事し、政権幹部へのブリーフィングにも携わったという。
 本の著者は、多少の悪意があるのか、ウッドワードがCIAと何らかのつながりがあると示唆する。取材源を上司にさえ過度に隠す傾向があるのは、こうしたスパイ活動から来るクセではないかと見る。その傍証として、ウッドワードが雇った記者が、麻薬中毒になった8歳の少年についての話をでっち上げ、ピューリツァー賞受賞後に大誤報であることが発覚した事件を挙げる。取材源を明らかにするという原則を貫いていれば、防げた大誤報であるからだ。
 いずれにせよ、ウッドワードは新聞社に入る前に、ワシントンの政治や安全保障についてそこそこ知識と経験があったことは確かなようだ。日本で言えば、早稲田大学を卒業し、海上自衛隊で戦略や無線の任務に従事し、防衛庁では官邸への説明に行く仕事を担っていたことになる。そうすれば当然、官邸や防衛庁、政治家などとコネができるのは当然だろう。
 ウッドワードのジャーナリストとしての仕事を肯定的に捉えるならば、優秀な政治記者になるならば、地方支局でサツ担当などをやるのではなく、政治家秘書や中央官僚を経た方が政治の裏側を知ることができ、コネも築けるということになる。
 この本にあるように、米国でも政権中枢や情報機関と癒着している可能性があるウッドワードに対して疑念を抱くジャーナリストもいる。日本で朝日新聞や読売新聞の特ダネ記者が、もし元防衛庁職員だったら、当然そうした疑念が生まれるだろう。
 ウッドワード記者を礼賛して日本の政治報道をバカにする論調があるが、元海軍将校が新聞記者になるというアメリカジャーナリズム界の現実を受け止めた上で、日本での政治とジャーナリズムの距離感を模索すべきであろう。

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2004年08月22日

華氏911 [ メディアウォッチ ]

「華氏911」を観た。その感想をいくつか。

●ジャーナリズム?エンターテインメント?
 目新しいニュースは特になかった。
 イラク戦争は、石油利権とつながったブッシュ政権が大企業の金儲けのために始めたもので、一方で戦地に送られている若者は、貧しい階層の人たちだ。こうした構図を描くためにいろんな材料を集めてきて、エンターテイメントとしても楽しめるように編集している。
 大手メディアのジャーナリストから見ると「民主党系の人たちのインタビューが多く、バランスに欠ける」「ブッシュを批判するために都合のいい情報をつなぎ合わせただけだ」と批判するかもしれない。しかし、同時多発テロ以降の一連の「戦争」に対し「何かおかしいんじゃないの」と誰もが思っていたことを、ムーア監督が粗っぽいけどストレートに表現したので、アメリカ国内でも支持されているのだろう。こうした見方は、大手メディアがなかなか取り上げなかったから、鬱屈した気持ちがアメリカ国民の中にあったのかもしれない。

●古いメディア
 新聞やテレビという大手メディアが取り上げない見方を、映画という古いメディアで表現したところが興味深い。
 ムーア監督は、自分のウェブサイト、小さなテレビチャンネルも持っている。それなのにどうして映画で表現しようと思ったのだろうか?
 それは映画が一方向性のメディアだからではないだろうか?
 今は何でも双方向性がいいともてはやされている。でも、双方向性メディアだと、自分の興味関心に従って情報を集めるので、他人の話をじっくり聞くことがなくなる。「とりあえず座って、俺が言いたいことを聞いて欲しい」。こういうのは古いメディアの方が向いているのかもしれない。
 ネット社会が進んでも、映画が残る可能性を示したと言える。

●兵士たちの言論の自由
 映画では、イラクで戦っている何人も兵士たちにインタビューしている。「ラムズフェルトには辞めてほしい」「何で俺たちはここにいるんだ」「もうイラクには帰りたくない」と本音を語っているのに驚いた。
 日本の自衛隊では考えられないことだ。まず、防衛庁が取材を許さない。許したとしても、上官が横に座っているだろう。
 上官がいなくても、自衛隊員はこういうことは語らないと思う。「石破長官は辞めろ」「イラクに行く意味は何ですかね」「本土防衛こそが自衛隊の本務ではないのか」などという本音がメディアに流れたら、仲間から「腰抜け!」「規律が乱れる」などと言われるのが目に見えている。
 防衛庁の報道管制に対し、日本のメディアは腰抜けだ。右派、マッチョ系の新聞や週刊誌が幅を利かせており、「早く日本に帰りたい」という自衛隊員なら当然抱く思いも、かき消されそうだ。
 言いたいことを言いたいときに言える権利を持っていることを、自衛隊員は知ってほしい。 

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2004年07月06日

やっと出た、まともな三菱自動車の記事 [ メディアウォッチ ]

 三菱車が火を噴いたという連日の報道で、三菱車ばかりが燃えているという印象がすっかり定着してしまった。しかし、賢い読者なら「全体の車両火災事故の中で、三菱車の割合はどうなのだろう?」という疑問を抱く。その疑問にやっと応えてくれた記事が読売新聞に出た三菱車の火災次々…大半は欠陥と無関係?
 この記事によれば、車両火災は毎年1万件近く発生している。国内メーカー14社で単純に割ると、1社当たり毎年600台以上が燃えている。各メーカーで1日2台近く燃えている計算になる。だから、三菱車以外でも、今日もどこかで燃えているのだ。
 原因としては、潤滑油切れなどの整備不良、電気配線や後付け部品装着などの改造というユーザーに責任がある場合も少なくないという。
 三菱車が燃えたのは事実だし、三菱自動車への疑念が高まっている中、注意喚起を促すという意味でも、他社製が同じように燃えていても三菱車の火災事故を報じる意味はある。ただ、報じっぱなしではなく、ちゃんとフォローして、賢い読者の疑念に応えなければならない。
 ただ、読売の記事で不満なのは、最後の国交省幹部の言葉。
 「もとはと言えば欠陥隠しでユーザーの信頼を失ったことが根底にある。信頼回復のためにも、なぜ欠陥隠しを続けたのか、自らの言葉で説明することが必要」
 何と他人事のような発言だろう。監督官庁としての責任を放棄している。
 記者は、政府の言い分を垂れ流すのではなく、政府の責任も厳しく追及すべきだ。

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2004年07月03日

保坂尚輝会見 [ メディアウォッチ ]

 保坂尚輝会見を見ていて、イライラした。
 記者、といってもほとんどが芸能レポーターだが、の質問が甘い。
 確かに、高岡早紀との「同居離婚」は不可解で、保坂の説明もよくわからない。ならば、わかるまで具体的な質問を重ねていくしかない。
 それなのに「だったら、離婚する必要ないじゃないですか!」と嘆いて見せたり、梨元氏は「私は結婚30年ですけども・・・」と自分のことを話し始めたり。
 同居離婚の実態としてわかったのは、寝室は別であること、食事は一緒にしていること、などだ。もっと質問を重ねるべきだ。
 ・会話はあるのか
 ・どのような会話か
 ・炊事、洗濯、掃除はどちらがやるのか
 ・下着は相手に洗ってもらうのか
 こういう質問をしていけば、二人の距離感がわかってくる。
 保坂の話を聞いていると、離婚は法的に夫婦関係を解消しただけであって、高岡との関係は、子どもの父親、母親として維持していくとのことだろう。実態だけを見ると、こうした「夫婦」はいくらでもいる。二人の関係が冷え切っているが、法的には継続している家庭だ。
 保坂と高岡は、二人とも職業人であり、芸能人だから自己へのアイデンティティーも強いのだろう。高岡も「保坂の妻」というよりは、高岡早紀という自己認識だろう。それゆえ、法的離婚への抵抗は少ないのではないか。
 夫婦関係には定型はないのだから、このあたりを丁寧に質問していけばいい。ところが、この芸能レポーターたちは「結婚=ラブラブ」「離婚=ドロドロ」という定型しかなく、「離婚会見」といえば、いかに二人の仲が悪くなったのかを引き出そうとしている。だから、保坂が「今までと変わりませんよ」と意外な答えをしたから、思考停止してしまい、スタジオに帰ってきて「わからない」を連発する。
 どうもテレビレポーターというのは、事実を丁寧に浮き彫りにしようというよりは、相手の表情、話し方、リアクションを引き出そうとしている。
 ジャーナリストならば、もっとプロらしく質問してほしい。

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2004年06月28日

マスコミは研究機関じゃない [ メディアウォッチ ]

 6月26日放送の読売テレビ「ウェイクアップ!」で、大嶽秀夫・京大教授が気になるコメントをしていた。番組の最後の方で、ニュースとして三菱トラックの出火事故が相次いでいると伝えられたのを受け、事故を防ぐのに大嶽氏はマスコミの役割を強調した。すなわち、どのような自動車が事故を起こしているのかという一次情報はマスコミも入手しているのだから、事故の傾向を分析して警鐘を鳴らすべきだと。
 マスコミは情報分析機関でも、シンクタンクでも、研究所でもない。毎日の出来事を伝える報道機関なのだ。もちろん、調査報道をすることもあるが、それもその時々の記者が関心を持ったテーマや仮説に沿って情報を集めるのであり、ただやみくもに大量の情報を集めて、さあそこから何が見えるかという分析はやらない。
 大嶽氏のいう事故情報を例にみよう。確かに、交通事故の情報は毎日のように警察から送られてくる。それに基づいて、ニュース性のあるものを取捨選択しながら報道している。さて、警察から送られてきた一次情報はどうしているのかと言えば、捨てているのである。
 大嶽氏の期待に応えようとするならば、この一次情報を捨てずにファイルする必要がある。しかし、どういうフォーマットでファイルするか?時系列、死亡者数、車種、発生の時間帯、原因など、分類の仕方も難しい。しかも日本では死亡事故だけでも約1万件も起きているのだ。これだけの大量の情報を蓄積するのだけでも大変であるばかりでなく、自動車工学の専門家でない限り、そこから事故原因の傾向を分析できるわけがない。
 こうした研究は、そもそもは国土交通省、警察、自動車メーカーが一義的に行うべきものだろう。マスコミには、その能力もなければ、その責任もない。
 三菱トラックの責任は、一義的にはメーカーにあり、次には監督官庁の国土交通省にあるはずだ。もし、三菱トラックが危ないという情報が前からあったのであれば、その情報を流通させなかったメーカーや国土交通省の責任が問われるべきである。
 阪神大震災が起きたときも、さすがに「マスコミは地震研究をやるべきだ」という意見はなかったが、「なぜもっと警鐘を鳴らさなかったのか?」という批判はあった。関西でも地震が起こりうるという記事は、それなりに定期的に掲載されてはいたのだが、ほとんど注目されていない。では、連日一面トップで「関西でも地震の可能性!?」と伝えればよかったのかというとそうでもないだろう。
 何か事故が起きると、二言目に「なぜマスコミはもっと警鐘を鳴らさなかったのか」と簡単に言うが、マスコミは「警鐘研究所」ではない。

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2004年06月10日

何かが引っかかる判決 [ メディアウォッチ ]

 うまく説明できないが、何か引っかかる判決だ。中田英寿が宮沢りえとキスしている写真が無断で掲載されたのはプライバシーと肖像権の侵害だと出版社を訴えた裁判で、中田側が勝訴した。
 理由は「中田さんが不快をおぼえたのは明らかで、掲載には公益性もない」。ただ、
中田も「マスコミから持たれている興味はわかっていたはずで、こうした写真を撮影させたらどうなるかは容易に想像できた」ということで、請求額2200万円のうち110万円しか認めなかった。
 写真は会員制クラブで、クラブの経営者が撮影した。出版社は「隠し撮りではないうえ、中田選手の異性関係は一般人から関心を持たれている」と主張したという。
 まず「マスコミから持たれている興味」とは何だ?中田と宮沢りえがキスしていたら、一般的な関心度は高い。判決ではマスコミだけに言及したところをみると、この裁判官はマスコミさえ興味を持たなければこの問題は回避できたという偏見を持っているのが伺える。
 また、掲載によって中田が回復できない損害を負ったとも思えない。そんなに嫌なら、判決でも指摘しているように写真を撮らせるべきではなかったのだ。
 中田の不快感と、表現の自由を天秤にかけたら、後者の方が当然重い。これくらいの不快感で、表現の自由を侵す危険性を高めてはならない。
 もしかしたら「一流選手になったら、美人女優とキスできるんだ」とサッカー少年に夢を与えたかもしれない。それでサッカーに熱中する少年が増え、ジャパンサッカーの強化につながったという「公益性」があるかもしれない。しかし、そんなことは狭い法廷で立証できるわけがない。それだけ、表現行為の公益性を判断するのには慎重にならなければならない。
 
 

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2004年06月03日

父親の記者会見 [ メディアウォッチ ]

 長崎で女児が同級生に殺された事件で、女児の父親が記者会見に応じた。被害者の家族が記者会見に応じるとは珍しいと思っていたら、父親は毎日新聞の記者だった。
 娘の亡骸を抱こうと思ったら、現場保存のために警察に止められた話など、家族が経験する痛々しい話が語られた。やはり家族の話は事件報道に深みを与え、ずしりと心に響いてくる。
 記者会見に応じた理由も尋ねられた。「正直、話をしたくないと思ったが、この仕事をしていて、逆の立場ならお願いしている」と答えた。ちょっと残念だ。これでは、同業の誼で答えてあげているということになりかねない。自分の言葉が社会に伝えられることで、どういうことが期待できるかを語ってほしかった。

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2004年04月18日

ジャーナリストの自己責任 [ メディアウォッチ ]

紛争中のイラクで人質となった5人は、結果的に無事に解放された。
 ここへきて、5人への批判が高まっている。政府の退避勧告を無視して紛争地域に入ったのは基本的には彼らの自己責任であり、本来は自分たちで解決すべき問題を、国家が守ってやったのだ、感謝の意をもっと示せ、さらには救出にかかった20億円を負担しろ、などという意見が出ている。
 中には「政府は全力を尽くした」と評価した新聞もある。何をもって「全力」と言うのだろうか。人質の解放への過程を明らかにせずに、安易な表現は慎むべきだろう。
 さて、5人中2人はジャーナリストだった。ジャーナリストが紛争地に入って現場の様子を報道しようとするのは自己責任でやるべきなのか。国家は彼らを守る義務はないのか?
 ほかの例で考えてみる。火事現場に取材に行った記者の服が、降ってきた火の粉で燃え始めた。危険な火事現場に来たのは記者の自己責任であり、消防は記者を消火する義務はない?消防が水をかけて消してくれたら、その水道代を払わないといけないのか?雪崩、土砂崩れ、火砕流、原子力事故などの災害現場に行った記者は無償で助けてもらえないのだろうか?
 事故や災害現場に記者が取材に行けなくなったら、その様子は全国に伝わらないし、生々しい記録も残らない。行政当局に任せるという方法もあるが、それはかなり非効率だし、一元的な見方しか提供されない。大きな事件や事故であるほど、いろんなメディアが現場に入って様々な見方を提供してこそ、次の事件や事故を防ぐヒントが得られるのである。
 イラク戦争も「テロの世紀」における新しい戦争である。現場で何が起きているのか世界は知る必要があるし、自衛隊を派遣して当事者となった日本国民は、なおさら実像を知らされなければならない。
 ジャーナリストたちは、私たちの知る権利に応えようとして、自らの危険を冒してまでイラクに入ったのだ。それを「自己責任」「自業自得」と国家が見捨てていいはずがない。
 そういえば「サルバドル」という映画の中でも、エル・サルバドルの武装勢力に拉致されたジャーナリストを救出するために、現地のアメリカ大使館が奔走するシーンがあった。
 ただ、ジャーナリストにも自覚が必要であることは言うまでもない。拉致されたら国家が助けてくれるのは当たり前だとしても、それに甘えていいはずがない。流れ弾に備えてヘルメットや防弾チョッキをするのは当然。拉致されても金で解決できる場合もあるので、そういう時に備えて高級時計を何本も持っていく。日本政府以外にもアメリカ、イギリス政府などにもパイプをつくって、いざというときに動いてもらうようにする(いずれも「サルバドル」からの知恵)。
 NGOの3人も、観光や物見遊山で行ったわけではない。日本政府とはやり方が違うが「人道・復興支援」のためだ(と思う)。消防が来る前に、人命救助のために火事の中に飛び込んだ人は「自己責任」なのか?「素人が火事の中に飛び込むとは無謀な」と片づけられるのか?
 彼らは命がけで火事の中に飛び込んだのである。国がそれを見捨てていいはずがない。

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2004年04月18日

骨太ジャーナリズムの勝利 [ メディアウォッチ ]

 BSE対策で国が国産牛を買い上げる制度を悪用するため、輸入肉を国産牛と偽り、国から助成金をだまし取ったとして、大阪の業界団体役員が次々と逮捕されている。その中心にいるのが団体の副会長で、ハンナングループを統括する浅田満だ。関西の食肉界を実質的に牛耳る。
 ハンナン周辺がBSE対策を悪用しているという噂は2001年冬ごろからささやかれていたようで、「赤旗」が2002年12月に疑惑として報じている。
 ハンナングループの全貌を詳細に調べ、広く世に知らせたのが溝口敦の「食肉の帝王」(講談社)である。週刊現代に2002年の9月から12月まで連載されたもので、単行本は2003年5月に出た。編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞、日本ジャーナリスト会議のJCJ賞、第25回講談社ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞した。
 今回、捜査当局が動いてのはこの本のおかげと見て間違いない。雪印食品による偽装事件が発覚したのは2002年1月末、8月には日本ハムも偽装していたことを認めた。その間、農水省だけでなく、警察による捜査も進んだ。ハンナングループまで司直の手が伸びるのに、なぜこれほどまで時間がかかったのだろう。
 赤旗や週刊現代がこれだけハンナングループについて報じているのに、大新聞はどこも追っていない。なぜか?キワモノ系だからである。食肉業界は胡散臭い業界であることは、よく知られている。胡散臭いからこそ明らかにしなければならないはずなのに、司直の手にかからないと報じないとは、何とも情けない。
 溝口氏は暴力団の実態を絶えず暴いてきたことでも有名だ。骨太ジャーナリストに敬意を表したい。

 

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