2004年08月06日

取材源の秘匿 [ 倫理 ]

 朝日新聞記者が「取材源の秘匿」に反する行為をしたとして、退社処分になった。
 東京慈恵会医科大の補助金流用問題で、大学に批判的な大学研究員を取材した際に、研究員が記者との会話を録音されるのを拒んだのに、密かに録音。さらに、その録音をMDに複製し、別の大学関係者を取材する際に渡てしまったという。さらにMDは外部に漏れ、研究員が取材に応じたことを批判する文書が複数の大学教員に届けられたことから、問題が発覚した。
 それにしてもこのニュースは読売や毎日のウェブサイトに載っているのに、アサヒ・コムには出ていない。朝日新聞朝刊の扱い方も地味だ。反省の意が感じられない。
 言論の自由を守るためには、権力の介入を許さない言論空間を確保しなければならない。新聞がその自由空間であるためには、新聞に発言しても、権力に押しつぶされないよう、発言者を守らなければならない。「取材源の秘匿」は、そうした意味を持つ。
 こうしたジャーナリズムの基本精神が、今の新聞社でいかに継承されていないことを示す出来事だ。特ダネ競争、権力への擦り寄り、経費削減ばかりを気にしていて、当たり前のことが議論されていないのだろう。
 今回のケースをもう少し細かく見よう。
 取材する際に、録音について了解を得ることは、ほぼ常識となっている。録音を許されても、その内容を外部に漏らさないことは当然であり、その信頼関係があるからこそ取材に応じているのである。
 取材された研究員は、大学からの報復を恐れたからこそ録音を拒んだのだろう。今ひとつ記者を信用していなかったのかもしれない。研究員の警戒心を和らげるためにも、この場では録音はやめ、メモだけにとどめるべきだろう。
 ただ、記者の側からすると、メモ用に録音しておきたいという気持ちがある。そこで、密かに録音するにしても、相手が拒否している以上、その扱いにはさらに慎重になるべきである。今回、この記者がMDに複製した軽率さが理解できない。
 取材した別の関係者は、研究員と同じく大学に批判的であったため、思想的には研究員と連帯している。味方同士だから、研究員の会話内容を伝えてもいいと思ったのだろうか?それにしても、口頭で「ある研究員はこう言っていた」と伝えても許されるが、MDまでを相手に渡してしまうとは、やり過ぎである。
 「取材源の秘匿」を守らなかったという思想的衰弱が問題の大きな背景にあるが、技術的には録音内容の取り扱いについて、何らかの規定も設けるべきであろう。ただ、やめてほしいのは「取材源の秘匿」とは何なのかを根本的に考え直すことなく、ただ録音物の規定を設けるということだ。
 

Posted by halberstam at 2004年08月06日 | コメント(0) | Trackback(0)