2005年03月18日

「編集権の独立」廃止論 [ 編集権の独立 ]

 目から鱗が落ちた、その2。
 「論駄な日々 働きながら学ぶ社会人院生・畑仲哲雄の日常風景」にあったエントリー 編集権と内部的自由の備忘録に、編集権の独立について詳しい解説がある。これを読むと、ますます「編集権の独立」という概念は、矛盾だらけであることに気づかされる。

 外部から編集内容に圧力がかかったら、素直に「報道の自由」を主張すればいいのだ。変に「編集権の独立」を盾にすると、誰が誰から独立しているのか、独立を主張する根拠は何か、ということがはっきりしない。いくら日本新聞協会の声明を持ち出しても「それはあんたのところの都合でしょ?」ということになる。

 「編集権の独立」は廃止すべきなのかもしれない。

 それにしても、気になることがいくつかある。

 例えば、最近のNHKニュースを見ていると、愛知万博のPRを平然と「ニュース」として伝えている。例えば、愛知万博会場での防犯訓練や消火訓練をニュースで伝えている。しかも、愛知万博のロゴ入りで。確かにその日の出来事には違いないが、果たしてこれを伝える意味がどれほどあるのか?それよりも万博会場の警備が不十分だとか、火災の際の避難経路が確保されていないとか、そういう問題があればニュースの中でレポートすればいい。

 現場で取材している記者たちも「なんでこんな提灯レポートをやらなきゃいけないんだ。わたしはもっと不正を追及するような仕事をするために記者になったのに」と思いながらやっていることだろう。

 だとすれば、誰が何のために、このしょうもない万博会場の訓練をニュースとして取材させたのか?

 万博は何十年に一度かの国家イベントであり、エスタブリッシュメントの方々は何とかして成功させようという雰囲気になっている。そこで、主催者たちはマスコミにも「ぜひ盛り上げてくださいよ」と声をかけているのだろう。

 そこでNHK上層部は報道部に対し「開幕に向けて盛り上げてくれよ」と伝えているのだろう。報道部デスクたちは内心「あほらしい」と思いながらも、記者たちに訓練の取材をさせているのに違いない。

 こうしたとき「編集権の独立」を盾に、「伝えるべきニュースは、報道部で決めさせていただきます」と突っぱねることができると、前までは思っていた。しかし、もし万博取材を命じたのが報道局幹部だったら、どうか?逆らえない。その幹部はおそらく「編集権は私が決める」と言うからだ。
 
 新聞も、自社主催のイベントを盛り上げようという記事が、貴重なニュース面を割いて載っている。

 「編集権の独立」とまではいかなくても、編集と経営の間にケジメみたいなものが必要だ。内部の自由を確保するために、「報道の自由」を主張することが有効だろうか?

Posted by halberstam at 2005年03月18日 | コメント(1) | Trackback(0)



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■ 論駄な日々
 こんにちは、論駄な畑仲です。ブログのご紹介ありがとうございました。
 国家からの圧力に対して毅然と立ち向かえる「編集権」は、デモクラシーにとって重要な機能ですね。でも、その権力が経営者に集中していることの弊害も少なくありません。
 端的に言えば、経営者が愚か者である場合、編集権を悪用して現場の記者やデスクを抑圧しかねません。そもそも編集権の自由を放棄して政府国家の干渉を招いてしまいます。
 経営者がご乱心めされた場合に諫める仕組みがあれば、編集権は独立していたほうがいいのではないでしょうか。そのために参考になるのが欧州の「内部的自由」と「編集綱領運動」なのですが・・・・
畑仲哲雄 (2005-03-27 11:22:34)

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